2/14 初めての中東とヨーロッパ(おがわ史上最長文)


今回のお休みは

イスラエル、ヨルダン、ドイツ

に行って参りました。


理由はたくさんあるのですが、
特に理由はないというのも理由です。


強いていうのであれば
まずは年に一回はリフレッシュしなくてはというのが一つ。
それが海外でないといけない理由はわかりません。
この四年、海外でしか休暇はとっていないので。
国内だときっと飽きると思います。

行く度に思うのが、年に一回外に出ないと
次に外に出るのはきっと億劫になる。
といつも思います。
年に一回だけでも最初は戸惑うのに。

何故中東かは、行ったことが無かったからです。
2016年9月のブログに
「6年ぶりの海外、行くなら中東かグアテマラ」と書いています。
その時はグアテマラをチョイスしました。
昨年、中米に行って慣れを感じてしまったので
今年は東に行こうと決めていました。


イスラエルを選んだ理由は、
エルサレムには人生で一回は行かないといけないと思っていたからです。
特に行きたい訳ではありませんでした。
そもそもその右の国のヨルダンという国に
「ペトラ遺跡」というメインディッシュがあるので
そこを目指したついでにエルサレムにくらいのつもりでしたから。

ただ、行くと決めて調べだすと
どんどんイスラエルに興味が出てきて、
いつの間にかイスラエルがメインになっていたという結果です。

ドイツ(ケルン)は去年の旅行中に出会った
ドイツ人カップルに呼ばれて帰りに寄る事にしました。
ほとんど興味はありません。
強いていうならサッカーとデゥッセルドルフ(日本人がたくさんいる街)
とアウシュビッツ収容所(右のポーランド)くらいでした。
ケルン大聖堂が600年かけて作られた、ビール、プレッツェル。
くらいの事前情報しか調べずに行きました。
「毎年2月くらいに年1回行くよ」
という話を覚えていて、
昨年の10月に「今度はどうするんだ?来いよ」
と言われたのが単純に嬉しかっただけです。



一応ある程度の予定は立てていて

エルサレム(イスラエル)→
ワディムーサ(ペトラ、ヨルダン)→
死海(ヨルダン側)→
ベツレヘム(パレスチナ)→
自由→
ケルン(ドイツ)→
自由

という感じでした。


結果、

エルサレム(イスラエル)→
ヘブロン(パレスチナ)→
ベツレヘム(パレスチナ)→
ワディムーサ(ペトラ、ヨルダン)→
死海(イスラエル側)→
アッコー(イスラエル)→
テルアビブ(イスラエル)→
ケルン(ドイツ)→
ルクセンブルグ(ルクセンブルグ)

という旅路になりました。


ドイツを挟んで帰ってきたので、
それがクッションになり
大分、現代というか普通の感覚になったと思いますが、
イスラエルの事は訳がわからない事を書くと思います。

そういう国だったので。
イスラエルというかエルサレムが。

もし自分が第三者としてこれを読んだら

「何言ってるの?あんた誰?」

ってきっと思っちゃうと思うので(笑)



まず行きの飛行機です。

ルフトハンザ(ドイツ)とANAが
何故か10分違いで同じ航路(羽田→ミュンヘン)を飛んでいたので

ここは迷わずルフトハンザをチョイス。
(プレビジの可能性が高い為)

エコノミーしか乗った事が無いのでよくわかりませんが
飛行機にはどうやら

・エコノミー
・プレミアムエコノミー(プレエコ)
・ビジネス
・ファースト

とあるようです。

人が少なくて、エコノミーの三列シートを独占し、
フルフラットで寝れる事を
僕は

プレビジ(プレミアムビジネス)」

と呼んでいます。


出発の23時間前までは
結構空席があったのですが
チェックするたびに埋まっていく。
出発直前まで3回ほど座席変更を繰り返した執念の結果

・・




プレビジでした~♪

ていうか結構な人がプレビジでした。



結局20分しか眠れませんでしたが。


ミュンヘン→テルアビブもプレビジでした。

3時間くらい寝れました。


ミュンヘンの空港があまりにも落ち着ついていたせいか
テルアビブに着いたら少しワクワクしてきました。


4時に着いたので明るくなるまで空港で時を過ごしました。





1シェケル=35円
だったのでこのパンと水で約 850円です。

イスラエルは物価が高いです。

その分交通費は安いです。


六時になったのでバスでエルサレムへ向かいました。40分。

バスターミナルから新市街までトラムで10分。



普通に暗い都会でした。

宿に着いて荷物だけ置き
とりあえず街を知らないといけないので
マーキングをしに行こう。

という事で軽く散歩するつもりでエルサレム旧市街に向かったのですが


結果この日は25キロ歩きました。

昼間は暑くて初日で顔が真っ赤になり
唇の皮がパサパサになってました。


とりあえずダマスカス門という所のアラブ人街が
一番パンチがありそうだったのでそこに行き
ATMでシェケルをおろしました。

後に気づいたのですが
アラブ人街が一番タチが悪いです。

一番治安が良くない。




これはダマスカス門の次のヘロデ門という所です。
上に何故か日本のパスポートにも印字されている
「菊の紋章」が彫られています。

「日ユ同祖論」

都市伝説です。

※エルサレム旧市街・・・城壁で囲まれていて、
「新門」、
「ジャッファ門」、
「ダマスカス門」、
「ヘロデ門」、
「黄金の門」、
「糞門」、
「シオン門」、
あと一つあった気もするんだけど・・・この門があります。


シオン門は『ZIONGATE』と書きます。


『ZION→祇園』


日ユ同祖論、都市伝説です。




この城壁の中に「ユダヤ」、「イスラム」、「キリスト」の聖地があるので

・・・・・・・

狂ってます。




ユダヤ人にとってはガチです。
一番の聖地と呼ばれる「嘆きの壁」があるからです。

紀元前かそのあたりにヘロデ王が建てた神殿ですが
ローマ帝国に支配され、西の城壁だけ残った所が嘆きの壁です。
ウエスタンウォールが正しい呼称っぽいです。

ユダヤ人は、救世主であるキリストを殺した事も理由の一つで、
しかも賢いので迫害され続けていました。
仕舞いには第二次世界大戦で600万人が大虐殺され
国が無いからこんな目に合うんだという事で
古代イスラエル王国があったこのパレスチナの地に
世界中のユダヤ人が集まってイスラエルを建国し、 
建国宣言した3日後かそのあたりから後に4回も行われる中東戦争が始まったのです。

※何往復も勉強して行ったのですがこれでも超浅はかな知識です。端折っていきます。

この4回の中東戦争の内、
3回目がイスラエルにとっては凄く大きな大勝利で

この時(196?年)から、ようやく「嘆きの壁」でお祈りを捧げる事が許されたのです。
(ヨルダンからエルサレムの東を占領)

だからユダヤ人にとってはこの「嘆きの壁」というのは
本当に重要な意味を持つ一番の聖地なのです。

ユダヤ人→イスラエル人×
ユダヤ人→ユダヤ教徒〇


エルサレムは本当に混乱します。

その嘆きの壁の真上に

イスラム教徒の聖地「岩のドーム」があります。
金色のモスクです。エルサレムのシンボル的な。

イスラム教徒の聖地は池上彰さん曰く
「メッカ」「メディナ」「岩のドーム」の順番です。

ムハンマドがメッカから一晩で昇天してこの丘に降り立ち、
預言を受けて帰っていったと言われていて
ドームの中にはムハンマドの足跡が残っているとか。
ちなみにドームにはイスラム教徒しか入れません。
そしてムハンマドは神ではなく預言者です。

イスラムの神は「ラー」、
ユダヤの神は「「ヤハウェ」、
キリスト今日は「ゴッド」

言葉が違うだけでみんな「神」って意味らしいです。
全部共通の「唯一神」です。

ユダヤ教紀元前1000年以上前→キリスト教西暦0年→イスラム7世紀

という枝分かれです。

池上彰さんは
「都合の良いようにそれぞれが生きやすい宗教を作っていった」とテレビで仰ってました。

岩のドームがあった場所は、
もともとは「神殿の丘」というユダヤの神がアブラハムの子イサクを試した場所です。


ちょっと迷路に誘導しているみたいなので端折っていきます。


エルサレムは本当に頭が混乱したのです。

キリスト教徒は教会しか行かないが、
ユダヤ教徒はたまにモスクにもお祈りに行くし、
イスラム教徒はたまにシナゴーク(ユダヤ教徒が祈る場所)にも行く。

それにユダヤ教徒でも色んな派があって
一番有名な黒いハットに黒いタキシードを着てもみあげを伸ばしている人達が
「超正統派」
だったり


頭の上にキッパという皿の帽子みたいなののっけている人たちが何々派で

アラブ系の顔の人だからイスラム教徒か~と思っているとキッパをのっけているので
あの人はユダヤ教徒か~とか
本当に訳がわからなかったです。

まぁ、分からなくても僕の人生に何の影響も与えませんが。


キリスト教の聖地が、「嘆きの壁」から10分も歩かない場所にある

「ゴルゴダの丘」です。

キリストが十字架で亡くなったところです。
今は「聖墳墓教会」が建てられています。



城跡の中の旧市街はとりあえず後で行く事にして

ますは壁の外から周ることにしました。





とりあえず旧市街を一望できるオリーブ山に向かったのですが

こういうゴミやら人の雰囲気で治安度がなんとなく分かってきます。

オリーブ山はアラブ人街です。


※宿をとった新市街はユダヤ人街です。





エルサレム旧市街。

岩のドームは絶対に必要なシンボルです。



そして何か建物があったのでとりあえず入ってみると

一発目がなんと



死んだキリストが3日目に復活した場所

「昇天教会」

でした。

キリストの足跡もあります。

僕も昇天してみました。





嘆きの壁へ。


お祈りを捧げています。



この超正統派の人たちが謎でたまらなかったです。

すごく敬虔なユダヤ教徒で極少数のエリートだと思っていたのですが
壁の前で聖書読みながら寝てる人もいるし
態度やマナーの悪い人もいるし。(立ち小便など)

ユダヤ教徒の10パーセントを占めるらしいのですが
この人達は兵役を免れるようです。

働いてる人もいますが、
国の援助や募金で生活していると聞きました。
貧困な人が多いとも聞きました。
ただひたすら聖書を極める人生だとか。




動画

https://www.dropbox.com/s/n7rhmx5sohfu6rw/%E5%8B%95%E7%94%BB%202019-01-30%2018%2039%2052.mov?dl=0



この超正統派の子達、30分くらい歌ってました。

泣いてる子もいました。



嘆きの壁の後ろに岩のドームの動画↓

https://www.dropbox.com/s/4kehf1p6bgl7eyr/%E5%8B%95%E7%94%BB%202019-01-30%2018%2054%2056%20%281%29.mov?dl=0

ユダヤ教徒が最大の聖地で嘆いているすぐ上に
イスラム教の聖地があって
イスラムの礼拝の時間になると
アザーンが鳴り響きます。
狂ってます。




ちょうど岩のドームのある神殿の丘に入れる時間になったので

行ってみました。






とりあえず走ってみました。



すると、その横で、
家族連れのお母さんが僕を真似て「ラン」と言って
めっちゃ子供たちに階段を走らせて写真撮ってました。
笑いながら「私は恥ずかしくてできないわ」と言ってました。
喜んでいいのかわからなかったです。




神殿の丘には決まった時間に決まった場所から入り
決まった場所からしか出てはいけません。


出る場所はアラブ人街でした。(ダマスカス門エリア)





やはりダマスカスゲートはやばかった。


ちなみにこれ「旅レジ」という
外務省から渡航国に関する情報が送られてくるサイトなのですが
すごく良い情報を送ってくれるので、
旅行する際は「旅レジ」入会必須ですね。
尊師ボーベリありがとうございました。





次の日はちょうど聖墳墓教会巡礼ツアーが無料であったので参加しました。

動画ビアドロローサ

https://www.dropbox.com/s/zjp774mkvl0b8x9/%E5%8B%95%E7%94%BB%202019-01-31%2019%2000%2036.mov?dl=0

こんな感じでイエスが十字架を背負って歩いた道を
世界中のクリスチャン達が歌ったりしながら歩きます。

本当なら22時間かから説明を、
ガイドさんは6時間で行わないといけないので
すごく早口で、
はっきり言ってあんまり分からなかったです。


そもそも僕の人生でイエス様の茨の道を理解することは何か意味があるのか。


エルサレムは狂ってるけど、僕も大分狂っていってました。


ちょうど横に日本人2人組が、
日本人の人にガイドしてもらっていたので
すごくそっちに参加したかったですが、
もちろんお金を払っているだろうし、

そもそも日本語でわかったところで俺の人生に何か意味をもたらすのか?(笑)

それにある程度は調べてきてるし。




キリスト教徒の方は
イエス様が死んだところを触るためにめちゃ並びます。

イエス様の香油をあびるところに額を当てキスをします。
そして悲しい顔をして記念撮影。

さっきまで笑ってたよね?

狂ってるの?



ツアーが終わり、
僕は「ダビデ王の墓」に行ってみたかったので探します。

ガイドさんは「すぐそこだよ。こう行ってあー行ってそこだよ。」

という感じだったので

行ってみたのですが、
丘の上に着いてしまいました。

そこから二人に道を聞き彷徨いました。


向こうから明らかにしっかりした感じの
イスラエル人じゃない人が歩いて来ていたので

「すいません。ダビデのなんとかに行きたいのですが知ってますか?」

「ダビデの何?このあたりはダビデばかりだよ(笑)」

「ダビデのえっと。。。。。ダビデのあれです。」

「墓?」

「それです!!!」

「僕もそっちの方向に行くからよかったら一緒に来る?」

「もちろん!」


「どこからいつ来たの?」

「昨日日本から来たよ。」

「エルサレムの印象はどう?」



「狂ってるよ。」



「笑笑笑笑笑!!!」

「エルサレムで何してるの?」

「僕はテキサスからヘブライ語を勉強しに来てるよ。」

「へ~。そうなんだ。どれくらい?」

「もう半年くらい。」

「あ、ちなみにあなたのエルサレムの第一印象は?」



「狂ってる!」(笑)


「ニューヨークにも住んでたけど、ここは違った意味で狂ってるよ」


「よかった~。。。。狂ってると思ってんの俺だけだと思ってた~
。。。。ありがとう。。。なんかほっとしたわ~。」


という感じでした。

※今思ったのですが、何故私はこの時Googleマップを使わなかったのでしょうか。
都市伝説です。




ダビデ王の墓につきました。

スーパー聖地でカオス状態です。

ちなみに下の写真は



レオナルド・ダヴィンチで有名な「最後の晩餐」の広間です。

「この中に私を裏切るものがいます。」

の場所です。


その後、ここはイスラムのモスクに建て替えられます。

上の写真の奥にモスクの肩が彫られています。


そしてこの建物の下に



古代イスラエル王、ダビデ王の墓があります。

今もまだ生きていると言われています。

上にはアフリカからのキリスト教徒巡礼者やイスラム教徒が。

その下にあるシナゴークでは
超正統派が前後に揺れながらお祈りをしてます。

ここもまた、3つの宗教が同じ場所を聖地にしている。

狂ってる。

熱でそう。






これはファラフェルサンドといい、
言ってしまえば何でもサンドです。

基本はひよこ豆です。

すいません。食べ物の説明はシンプルにいきます。


よく「何食べるの?」と聞かれることが多いので

今回は食べ物の写真もばっちり取ってます。女子ばりに!









朝食は基本的に毎朝こんな感じでした。

大体どこもビュッフェ式で色々あるのですが

朝はとにかく必要な栄養素を摂取!

冒険は昼でいい。

というスタイルにしました。

最初の宿には本当に恵まれました。

他の宿泊客もまぁ良かったけど

何よりスタッフがすごく親切でフレンドリーだったので

あの暗いエルサレムから宿に帰ると本当にほっとできました。





次の日は「ヘブロン」という町に行ってみる事にしました。

興味本位です。

パレスチナ自治区に入るときは
イスラエル兵から検問を受けると聞いていたのですが

難なくバスは通過してベツレヘムへ。



※ベツレヘム・・・イエスが産まれた生誕協会があり、
分離壁(パレスチナを閉じ込める壁)に書かれた落書きが有名な所です。
ちょっと前に東京にも書いたってニュースになった
覆面画家のバンクシーの絵が数多くあることで知られています。

のベツレヘムはとりあえず通過してヘブロンへ。

ヘブロンでパレスチナ人の現状を知ってからの
ベツレヘムの方が色々分かりやすいと思ったからです。



パレスチナに入ると電波も変わります。

自治区とはいっても、違う国。



ここに降ろされました。


とりあえず、
またもやキリスト・ユダヤ・イスラムの祖であるアブラハムのお墓を目指してみる事にしました。




殺伐としている。

エルサレムのような治安の悪さじゃない。

ここは危なくはない。


リアルだ。



こんな感じでパレスチナ人が訴えているのかな。

イスラエス人。。。

元々住んでたパレスチナ人の土地を占領して。。

そして迫害して。。。

嫌がらせをして。。

町は殺伐として。。。


パレスチナ人はこういう町にたくさんある検問を通らないといけません。


通ったらイスラエル兵がいて

「どこに行くんだ?」

と聞かれ

「アブラハムモスク?」

と答えると

「イスラムか?ユダヤか?」

「仏教徒だ」

「OK.左がイスラムで右がユダヤの方だ。
今日は金曜だからムスリムは安息日だぞ。入れないかも。」


とりあえず左に行くと、イスラムの人に止められて
今日は安息日だから入れないと言われました。


そもそもアブラハムモスクに興味はないんだけど。
ヘブロンがどんな感じか知りたいだけなのに。


※ヘブロンでは過去にイスラエル人とパレスチナ人の大規模な衝突が数回あり、
アブラハムモスクでも一度大きな大虐殺があったようです。 


また検問のところに戻って

「ビジターセンターとかないの?」

と聞いてみると
イスラエル兵が考えている時に

後からパレスチナ人が話しかけてきて

「ガイドしようか?」

と言ってきました。


いや。ガイドしようかって。君。明らかにガラの悪い感じじゃん。


右に行けば検問(来た道)(パレスチナ人街)、
左に行けばなんか少しほがらかな雰囲気(ユダヤ人街)


前にイスラエル兵。
後ろにチンピラ(じゃないかもしれないけど)


イスラエル兵に

「どっちが安全?」

と聞いてみると

イスラエル兵は
(お前馬鹿か。そんなの俺に聞いたら左って答えるしかねーじゃねーか)

という顔をして

「多分左だ」

といったので左に行きました。


少し行ったところでまたイスラエル兵がいたので

「ビジターセンターとかあるの?」

って聞くと

「なんで?」

と聞かれたので

「ガイドが欲しい」

というと

「じゃあここで待ってなよ。」

というので待つことにしました。

「どこから来たの。」

「日本だよ。」

「イスラム?ユダヤ?」

「仏教徒だよ」

「あ~。興味本位ね。」

あ~なんか。。。。ここにはいれないな。。。こいつら真剣だ。







ユダヤ人街はパレスチナ人街と全然雰囲気が違う。

すごく朗らか。



アブラハムモスクの前でとりあえず考えた結果


ここは入れない。

俺には何の関係もない。

すぐに帰ろう。



パレスチナ人街には引き返せなかったので

そのままユダヤ人巡礼者の流れにのって歩いていると


「ここでアラブ人テロリストに無残に殺された!リベンジしろ!!起ち上げれ!!」

的な石碑がありました。


なんかどっちもどっちだよな。


そもそも全く関係のないアジア人がどうこう批評する事自体が超ナンセンスで馬鹿げてる。

宗教感もそうだけど、革命とか戦争の感覚が完全にずれまくってる。


今すぐ帰ろう。




帰りはよくわからなくて

ヒッチハイクしていたユダヤ人の学生に一緒に乗せてもらい、バス停まで送ってもらいました。



エルサレムに戻り、またベツレヘムを目指しました。

壁を見たかったのです。

今度のバスはギュウギュウのパレスチナ人のバスでした。

凄く親切なのが分かりました。

噂の検問も一緒にくぐりました。

これ、リアル進撃の巨人の世界っていうか、ナチスとユダヤ人じゃん。

というのが率直な感想です。


検問をくぐるとタクシードライバーがかなりふっかけてきます。

せっかくパレスチナ人の良いとこ味わってたのに

そのふっかけかたは台無しだわ。。。。。

聞いていた相場の二倍以上じゃん。

※ヨルダンあたりで気づくのですが、アラブ人のふっかけてくる人の共通点は
日常会話の流れから上手に「旅行の全日程」を必ず探ってきます。
2カ月以上なら節約旅行ですが、
1週間から1ヵ月だと「こいつは金を使う」と足元を見てくるのです。
そもそも短期旅行の雰囲気なんて隠せません。
あがいても。


「壁だけでいいのか?イエスが産まれたとこに行かないのか?」

「行かない。俺は仏教徒だからそこは関係ない。」

「昨日日本人の家族を乗せたけどそいらは行ったぞ?
お前にとっても神だよ。あと50シェケルで連れてくよ?」

「俺は行かない。壁だけでいい。体調悪いんだって。壁だけでいいよ。」



バンクシーの壁画ちょいちょいいきます。


バンクシー



バンクシー


バンクシー







上の風船少女が確かバンクシー 























バンクシー



終わったらバス停に連れていかれました。

「いやちょっと待ってよ。。
バス停ってこのバス停?来たとこのバス停に行ってよ。
俺は検問をくぐって帰る!」

「なんだと?そしたらお前あと50シェケルだぞ?」

「はぁ~。。体調悪いんだって。。それでいいから検問に連れていって。」


時差ぼけと日焼けのほてりで本当に頭がぼ~っとしてました。







壁半端ないです。
空気読めない事を言うと、
進撃の巨人ファンにはたまりません。


疲れて帰ったらシャバットが始まっていました。


何か食べとかなきゃと思い、
16時にフムス屋さんに入ろうとすると

「シャバットだよ」

と言われてシャッターを閉められました。

※シャバットはユダヤ人の安息日。
金曜の日没から土曜の日没まで法律で
「働いてはいけない」
と決められています。


兵隊はわざわざ国に許可申請をだして働くくらいです。
バスや電車、タクシーなど全ての交通機関もストップします。
街は嘘みたいに静かになります。
その分、木曜(シャバット前日)、
土曜(シャバット明け)は街がはっちゃけています。


シャバットの日は本当に暇でした。
それが当然のようです。
シャバットは家でおとなしく読書する。
それがシャバットだ。
らしいです。
洗濯を済ませて、
受付あたりのソファーでヨルダン作戦(どのルートでペトラに行くか)を立てていると

ある二人組が宿のスタッフに何か聞いていました。

宿のスタッフ「気を付けてね。肌を露出してはダメだよ。。。
ってそれは大丈夫だね。カメラにも気をつけてね。
不用意に撮ってはダメだよ。」

と話していました。

「ねぇ。今の人達どこに行ったの?」

「メアシャリームっていう地区だよ。
あなたが気になってる超正統派の人たちだけが住むエリア。
シャバットの今日は少し独特な雰囲気になるんだよね。」

「まじ?ちょっと行ってくるわ。」

「あんまり目立った行動しちゃダメだよ。
そのまま通り抜ければダマスカス門に着くから
そこはイスラムだからお店も開いてるし、
そこでランチして旧市街に入って
シャバットの嘆きの壁を見てくるといいよ。」

という流れで、行ってきました。


帰ってくると、

「どうだった?メアシャリーム。」

と聞かれたので


「まず一つ。あの人達(超正統派)働いてるの?」

「働いてるよ。募金をもらってる人もいるよ。他には?」


「なんていうか。。。。あそこってゲットーなの?」

と聞いてみると

明らかにその場の雰囲気が一瞬止まったのを感じました。

え?何これ?

「いや。ゲットーではない。」

「でもすごく汚いし、雰囲気が悪かったよ。」

「ただ汚いだけだよ。それに今日はシャバットだからじゃなかな。」


会話の区切りがついたので
「ゲットー」の意味を確認してみました。
僕の中のゲットーは、
英語で「治安の悪い場所」
くらいの感覚だったので。

調べてみると、
「ユダヤ人の強制居住区」
とでてきました。

馬鹿で勉強不足でした。



エルサレムは強烈です。
「テルアビブよりエルサレムが好きだし別に狂ってるとは思わない」
と言っている人もいたので、人次第なのだと思います。


ここからはレッツヨルダンへ。

アラブ人の先制パンチを食らっているので、
もう行きたくなかったのですが
ペトラに行けず帰る事はできないと思い
、無理矢理レッツゴー。

首都のアンマン周りだと、
空路から来た人はビザがいるかもしれない。
何よりアラブ人で溢れたアンマンを通りたくなかったので
南周りでエイラットからヨルダンへ。



やっぱり結構バス移動が好きかもしれません。

景色最高。

ていうかこれだけ景色すごいと
ペトラついても感動できない自信がでてきました。


まずはペトラの拠点、ワディムーサ着。



いよいよペトラへ。



いよいよ。

この景色でもうお腹がいっぱいな気が。。。。


もうすぐペトラ。





うん。

全然感動しない。




むしろ入り口過ぎたあたりからずーっとついてくるロシア人?ファミリーの方が
「エル・ハズネ」(上の写真)より気になる。




という気分だったので、気持ちを切り替えて

この日は「運動をする日」にする事にしました。

山道を6時間以上トレッキングしました。


おがわ屋の横の「パイングローブ」さんで販売されている
「フランクリンマーシャル」のサングラスをかけていると

「ヘイ!フランクリンマーシャルでたの?俺はペンシルバニア出身なんだよ」

と声をかけられ

「そうそうこれ。フランクリンマーシャル。」

という感じで仲良くなり、
一緒に頂上までトレッキングすることになりました。

松田さん。ありがとうございます。


※後で聞いた話だと、「フランクリンマーシャル」はペンシルバニア州の大学のようです。




という感じで、

ペトラはペットーラという感じでした。




帰りの地獄ルートでやけに枕崎の「火の神岩」を感じさせる岩に遭遇したので
ここが一番盛りっときたところでしょうか。






レストランで

「このポメグラナーテっていうフレッシュジュースがお薦めだぜ!」

と言われたので、頼んでみました。

あんまり美味しくなくて、調べてみると

ただの「ザクロ」でした。



この「マンサフ」はかなり美味しいです。

ヨーグルトを醗酵させたスープに、サフランライスとラムを混ぜて食べる。

ヨルダンは基本が羊肉です。



エルサレムに戻ってフムスです。




フムスも結構美味しいです。

フムってます。

ひよこ豆のペーストをコロッケにしたやつがファラフェルで

ひよこ豆のペーストをオリーブオイルとにんにくでまぜたやつがフムスです。ふむふむ。

これをピタに挟んで食べます。

中東のソウルフードっぽいです。ふむふむ。


エルサレムの宿に戻り、受付の前のソファーに座っていると

「こんにちわ。」

と話しかけれました。

え?この人なんか。。。。。めっちゃスイッチさんに似てる。。。
※スイッチさん(昔一緒に住んでいた人)

という事で意気投合し、一緒に死海に行くことに。

ヒロさんは僕の知らない事をたくさん知っていて、且つ面白い人でした。



死海は




しっかーいという感じでした。

痛くて寒い。


ヒロさんとは久しぶりの日本語なのでたくさん会話した気がします。

しかも何故か仕事の話も含めて。(普段お世話になっている会社の人でした(笑))





地元マックにも。

まず注文がタッチパネル式(セルフ)です。

支払いもクレジット可能なので、

実際に人が稼働するのは調理と受け渡しのみになります。
(クレジット以外の人は対人で支払いますが)

ちなみに上の写真のセットで1500円です。



夜にエルサレムに戻り、僕はそのままテルアビブへ。




テルアビブ着。

第一印象最悪でした。
絶対に治安悪い。


やばいのはバス停から宿までの道だけでした。

結果、テルアビブは好い感じの街でした。

エルサレムとは全然違いました。


明るい。自由。というイメージです。


次の日は北のアッコーという町へ。

アッコーには全く興味はなかったのですが

セントジョージかもう一つの教会どちらかに

ユダヤ教徒になった日本人がいると聞いたので
会って話を聞いてみたかったのです。


結果、アッコーに着いて教会を探すと

教会2つとも廃墟になっていました。


というか、よく考えてみれば、
何故ユダヤ教徒がキリスト教の教会にいるんだっていう話で
最初からこの話に信憑性が無い事に気づくのは遅すぎました。


テルアビブに戻ると
エルサレムで友達になったオーストラリア人が
僕の泊まっていたホテルに遊びにきたので
ジャッファという世界遺産の町を散策しに。

そいつは
「テルアビブは狂ってるよ。エルサレムの方が俺は好きだ。明日出る」

と行ってキプロスへ飛び立ちました。

感じ方は人それぞれです。


ベツレヘムに行っていたヒロさんが21時に着くというので、
ラーメン屋さんで待ち合わせをしたのですが
流行りに流行っていて、行列ができていました。

僕は先に夕食を食べていたので外で待つことに。

中に入ったヒロさんから
「ラーメン以外もありますし、現地在住っぽい人達もいるので一緒にどうですか?」

とラインがきたので入ってみると
イスラエル人が日本の居酒屋を演出していて「いとをかし」でした。

ただ、なんか視線というかあまりそこに居たくなかったので
挨拶だけして先にお店を後にし
クリアルマというバーに行ってみました。
木曜日だったので、
シャバット前のテルアビブがどれだけ弾けているのか見てみたかったのです。


まぁ弾けてました(笑)


そして




これがやけに気になりました。

何か意味があるのでしょうか。


ラーメン屋さんには次の日の昼に行ってみました。

流行る理由を知りに。



ヒロさんがラーメンは普通だったと言っていたので

せっかくなので、ヴィーガンラーメンに。

普通でした。


ただ、音楽、トイレ、洗面台のクオリティがジャパンでした。

今回の旅行で唯一みたウォッシュレット付きのトイレはここだけでした。


このカルメル市場の活気は本当にすごいです。


そして、

テルアビブは「テル・オー・ファン」という「カゴリン」のような市の共用自転車と
電動キックボードが街中にあります。

この電動キックボードが最高に楽しいんです。


「ライム」というアプリをダウンロードして、
課金して

検索すると


このように

「ここにあります」

と表示されます。


後はそこに行けば



こんな感じで誰かが乗り捨てているので

後はQRコードを読んで出発です。

25キロまで出ます。

これがあると楽しいし、移動が本当に最高。


夕方にビーチホテルの前でヒロさんと集合の約束をしていたのですが

その30分くらい前にたまたま別のビーチでばったり再会しました。

しかもお互いライムに乗って(笑)



乗り終わったら、写真を撮って「終わりました」の合図で終わります。

ライムは本当に最高です。




昼のカルメル市場は夜はこんな感じになります。

後はクレーンと高圧洗浄機で一気に片付けてました。

効率いいのかな。


テルアビブのシャバットは全然シャバットではありませんでした(笑)

全然街が生きていて賑やかでした。

みんな法律破ってるのかな(笑)

そしてテルアビブには全然兵士がいませんでした。

見かけたのは駅でだけです。

エルサレムなんてそこら中兵士だらけだったのに。

超正統派の人も2,3人しか見かけませんでした。 


同じイスラエルでもエルサレムとテルアビブでは全然違いました。

エルサレムが「暗」、で、テルアビブが「明」。

エルサレムは何故か憂鬱な気分になってしまうのです。

テルアビブは何故か明るい気持ちになってしまうのです。
ゲイフレンドリーな街ですし(笑)
(ゲイフレンドリーな街は共通して明るいというのが個人的見解です)


ヒロさんの宿で夕飯を何にするか決めていると


ドイツのケビンからこんなラインが来ました。





ケビン「明日(9日)の12時30分に着くんだろ?」


いやいや。
(出発前、旅行中も
ちょくちょくケビンは確認の連絡をしてきてました。)

何を言ってんだこいつは今さら。。。





小川「明後日だよ。10日。俺がケルンに着くのは2月10日!」

・・・・・

・・・・・


ちょっと待って・・・・・



10日???



???そういや今朝ルフトハンザからメールが届いて・・・・・


小川「違う!!!!」






小川「違うぞ!!!!明日だ!!!今気づいた!!!まじであぶねー!!!!」



という感じで、
9日に出国するはずがいつの間にか僕の中で10日に変わっていて

ケビンが確認をしてくれなかったら

僕は10日に空港に行き、泣き崩れるところでした。


後1日、慣れてきたテルアビブで過ごしたかった。。。。。。。。


切り替えて何故かベトナム料理を食べに行き
(というよりもっと評価の高かった隣のイタリアンのお店と間違えて入ってしまった)
(でも流行っていたのでOK)
もう一回クリアルマを見に行き
ヒロさんとお別れして
ライムに乗って宿までひとっ飛び。
(タクシーより高いが楽しい)


ヒロさんは面白い人だったのでその事をもっと話したいのですが
写真も少し嫌いそうだったから、
ここは個人情報を名前のみで留めておきます。


イスラエルは出国に時間がかかるので寝ずにAM4時に空港へ。


ミュンヘン乗り換えケルン着。

飛行機が大分遅れたので
「迎えはいらない。駅まで行く」
と伝えると。

「なんとかなんとかケルンまで何時の何番に乗って来てくれ」

と言われたのでその通りにすると


それっぽい駅が見えたので

え?もしかしてこれ?

と確認の為、駅の名前を写真撮って送ると






「俺たちが写真に写ってるよ。」

「もう1個先の駅だ。」


と返ってきたので

なんだもう1個先か。

「驚かすなよ。」

と送ったのですが。


実際に、ケルンセントラルで再会した二人は何故か興奮していて

「この写真(さっきの)を見ろ!!!ほら!!!俺とカーラが写ってるだろ!!!ほら!!同じ服で!!!ミラクルだ!!!」

と大喜びしてました。


僕がたまたま撮った駅の名前を確認する為の上の写真には、
本当にケビンとカーラが写り込んでいたのです。
(左下の二人です)


一時間に一回くらいのペースで

「ケルンはどうだ?」

と聞かれるのですが

「発展してるよ。」

「一番印象に残ってるのは?」

「いや。どう考えても最初のあの写真だろ。」

という下りが少なくとも四回はありました。




ビールはこんな感じで小さかったです。

これで200円くらいだったけな。

それですごく飲みやすいです。

酒豪の僕も軽く一杯飲めました。





最後の日は、一人でルクセンブルグへ。





本当に暇でした(笑)

ルクセンブルグに行こうとする僕を
色んな方法で阻止しようとしていたカーラの気持ちがよく分かりました(笑)


という感じで、初めての地に行けて、結果、良かったなと思います。


とても長いブログになりましたが、

こんなところまで読んでくれてありがとうございます!!!!!


写真まとめ↓

https://www.dropbox.com/s/v6f83h5tan3fbse/%E5%8B%95%E7%94%BB%202019-02-14%200%2034%2043.mov?dl=0