2月2日 業界に入るきっかけ

あれは私が25歳の時でした。

不運にも事故は突然起こります。


何も考えずに自転車をこいでいた私。

急に無重力感に襲われ、目の前が真っ暗になる。

そこから意識はありませんでした。。。。。。。。

道路工事の方が、マンホールの蓋を閉め忘れていたのです。

私はマンホールに落ちました。

目が覚めた時は見知らぬ病室にいて、何故か目の前で美女が泣き崩れていました。

そして私に抱きついてきて言うのです。



「もうこのまま目を覚ましてくれないと思っていた。」



私はマンホールに落ちて2年間、植物状態で病院のベッドの上で寝ていました。

下半身には感覚がありません。

どうやら脊髄をやったみたいで、下半身麻痺の状態でした。

そこから地獄のリハビリが始まります。

血のにじむような努力でようやく歩けるようになった私は決意するのです!



「俺と同じ境遇の人を救いたい。。。俺は医療業界で生きていくぞ!!!!!」





というのは全部嘘です。




すごく長くなったので、別にこの作り話を実話って事にしてもいいのですが、

私はもっとふざけた人間なのでちゃんと実話を書きます。



当時、私は悪徳留学斡旋会社に勤めていました。

もちろん、勤めていた当時は自分で自分の会社が本当に悪徳だとは思っていませんでしたが、

そういう節もあったし、私以外の人が大体帰国子女というサークルのような緩い社風でしたので

後から思うと、倒産して当然だったのかな~とも思います。


<そこで特に覚えている名言たち>

自己破産した木村マネージャー 「僕ね。人を信じる事にしたんだ。疑うより信じる方が全然楽だよ。」

蛇の眼を持つ社長 「馬鹿野郎!!基本給で食っていこうという考えが間違ってる!!小川!!!お前、フルコミッションでやってみろ♪」 

<そこで特に覚えているやらかした事>

・山田チャンが泣いているので笑かそうとした時の事

(電話が鳴る)

小川 「お電話ありがとうございます!!ゲートウェイ21!!山田が承ります!!!」

電話の相手 「あ???山田????お前小川じゃねーか」

小川 (!?!?!!社!!社長・・・・・・・・・・・・)「あ、はい。。。。」

社長 「まぁいいや。○○に代わってくれ」


・三井マネージャーと談笑している時の事

電話が鳴る 「プルプルプル」

小川 「でます」

三井マネージャー 「ん?この番号は・・・」

小川 「お電話ありがとうございます!!ゲートウェイ21!!三井が承りまーーーーーーす!!!!!」

三井マネージャー 「馬鹿!!!!」

電話の相手 「あ??????お前小川だろ???」

小川 (!!!!社長さんじゃあーりませんか~。。。。。)「はい・・・・」

社長 「ちょっと三井に代わってくれ」


器の大きな社長で助かりました。



2014年、当時の係長だった人に「まだ持ってますよ♪」というと「早く捨てなさい」と言われました。


社長手作りのこの「スパイラルトーク」を毎朝毎晩電車の中で読みまくり、隅から隅まで暗記させられ

当時途中から一緒に住んでいたガッキーという後輩と、家に帰ると二人でスパイラルトークのシミュレーションをしていたという思いでのスパイラルライフです。

※倒産のニュースが出た時、顔にモザイクをかけた某A社員さんが、スパイラルトークの事を

「社長の洗脳教材」とマスコミに暴露していました(笑)



そして倒産したのをいいきっかけに、私自身が「ワーキングホリデー」に行く事になりました。

木村さん「小川君がオーストラリア??ダメだよ。そのまんまじゃん。変わりたいならカナダにしなさい。バンクーバー??だめだめ。。最初の三か月だけでもトロントに行きなさい。」

という事でカナダトロントへ。

手持ち20万と帰りのチケット。

手持ちがなくなったら帰るしかないという後がない状況を作り、結果的に帰りのチケットは破棄して1年4カ月間滞在しました。

ただし、内容は「海外留学」という夢のある話とはほど遠く、

まともな語学学校・ホームステイもできなかった私は、ほぼアルバイト三昧でした。

みんなが作るような韓国人やブラジル人の友達は出来ませんでした。

その代りカナディアンの友達とは深く関わる事ができました。

日本に帰国して使えるようなビジネス英語は身につけるにはほど遠いでした。

その代わり強いて言うならコミュニケーション能力はUPしたと思います。


やり手のオーナー、ゲイのサージです。

旦那さんも、今ではお子さんもいらっしゃいます。

二カ月間だけ夜間の語学学校にも通わせてもらいました。



僕は「ストレンジャークラス」(浮浪者クラス)と呼んでいました。


そんな大人のネバーランド生活を終え、人生最大の夏休み南米を3カ月旅して帰国します。(元々南米をメインに考えてました。)




かな~りかっこをつけています(笑)







帰国した私には何もありませんでした。

ただ、「カナダ・南米で日本では経験できない事してきたぜ~。俺ってワイルドだぜ~。」

という非常にださい勘違いだけはしていました。


それで再び上京するのですが、

やはり私には何も無い事を痛感するのです。


そんな時に、とりあえずすぐに生活可能なシェアハウスに転がりこみました。

「あ~、人生どうしよう~。」

「これじゃあ一生鹿児島帰れね~な~」

という呑気に聞こえますが、かなり落ちた状態で大きなリビングに行ってみました。


そこには、黒人とおじいさんがいました。

おじいさん 「お~、どうしたよ若者。暗い顔して」

小川 「いや~、人生どうしましょ~、僕なんも持ってないんですよね~」

小川 「なんか資格でも取ろっかな~」






おじいさん 「柔道整復師じゃよ」





小川「え?柔道?何ですかそれ?」

小川 「あー。整骨院か。。。。。確か小学生のころ踵が痛くて電気かけにいったな~。。確か保険がきいてたし。。。。。。。。」

ネットで調べる。うん。うん。

まぁ世界中どこいっても食っていけそうだなぁ。

一番安い学校はどこだ!。。うん。うん。

うん。

いける!!!



この後、「カナダと南米のしわ寄せ~ツケの三年間~」と題した私の人生で空白の3年間が始まるのでした。


きっかけってそんなに大事なのでしょうか。

今の時代はストーリー生が重要視される傾向にあるようですが。。。。。


この前後はまた機会があれば書きたいと思います。


最後に、この人がシェアハウスで予言をくれたおじいさん事「エンドー」です。


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